自己犠牲と権利│コラム

運営者:田中
運営者:田中

この記事では「自己犠牲と権利」と言うことで、テーマに沿った運営者の経験や考えを中心に記事にまとめていきたいと思います。

 

日常生活や仕事、療育でも役に立つ内容となってますので、是非最後までお読み下さい。

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1 自己犠牲と権利

この章では「自己犠牲と権利」というテーマを「権利の主張」と「誰かの自己犠牲」という項目に分けて考えていきたいと思います。

1-1 権利の主張

国民には義務と権利があるように、仕事においても「やらなくてはならない事」と「認められている権利」があります。しかし、やらなくてはならない事を蔑ろにして、後回しにしているのに認められている権利だけを主張してくる、少し履き違えた従業員に出会うことがあります。しかもそれが部下を指導する管理者だったりするので、本当に驚きます。

例えば「いつもより15分早めに出勤したからと、業務が終わってないのに送迎を変更してまで15分早目に帰る」や「12時に子どもが来所したら休憩時間がズレるから、その時間は無理ですと保護者様に伝えてしまう」など、権利は権利であって、放棄して自己犠牲をしなさいというつもりはありませんが、権利を主張する前に出来ること、やるべき事がありませんか?と問いたいと考えています。

運営者:田中
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それでは、権利の主張をすることでどんな問題がおきているのか、次項目でより具体的にみていきましょう。

1-2 誰かの自己犠牲

従業員、ましてや管理者が前項目のように自己中心的に動いた場合、最悪の場合事業所が崩壊して運営出来なくなってしまったり、良くても誰かにしわ寄せがいって我慢する人だけが不平等に扱われるようになってしまいます。あなたの横暴な権利や主張は誰かの自己犠牲の上に成り立っている可能性がある、ということを理解して欲しいと思います。

それでも法人や経営サイドがそこをちゃんと評価してくれればまだマシですが、結局その評価もその管理者を通しておこなうことになったり、透明性のある評価というのは中々難しいものです。そして変な摩擦を生まないようにと賞与が一律だったり、結局やらない者勝ちみたいな構図が出来上がってしまって、みんなで「緩くテキトーにやればいいよね」みたいな空気感になってしまいます。

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2 まとめ

さて、ここまで「自己犠牲と権利」という事で「権利の主張」と「誰かの自己犠牲」と言う項目に分けて考えて来ましたが、いかがだったでしょうか?

権利を主張する人がどういう人なのか、そのしわ寄せは我慢する人にいき、誰かの自己犠牲でかろうじて成り立っている可能性があるんだと言うことが分かったかと思います。

権利を行使するのも主張するのも悪いことではありませんし、認められていることです。しかし、その前に義務を果たそうと努力したのか、誰かへのしわ寄せは見えないふりをして自分だけ楽をしていないか、胸に手を当てて考えて見て欲しいと思います。