この記事では「抱っこという名の拘束」と言うことで、テーマに沿った運営者の経験や考えを中心に記事にまとめていきたいと思います。
是非、最後までお読みください。
1 抱っこという名の拘束
この章では「抱っこという名の拘束」というテーマを「無意識の虐待」と「予測する力」という項目に分けて考えていきたいと思います。
1-1 無意識の虐待
抱っこが拘束になると聞いたら皆様はどう感じるでしょうか。「抱っこが拘束?そんなこと言ったら何も出来ないよ…」という方も多くいると思いますが、全ての抱っこを指しているわけではありません。
例えば、事業所で動き回る子どもを追いかけるのに疲れて子どもの意思に反する抱っこを強制したり、一見すると可愛がってるように見える行為の中にも虐待に繋がる要素は含まれています。
しかし「ご家庭と事業所」や「人の目の数」など、環境や状況の違いで、その受け取り方は変わってくると思っているので、全てのことを否定しているわけではありません。そしてこの問題の厄介なところは、大人が虐待に繋がっていることに気付いていない事が多いということです。
それではどうすれば、無意識の虐待をおこなわずに済むのでしょうか。
次項目では、その辺をより具体的に見ていきましょう。
1-2 予測する力
それでは何故、前項目で書いたような「無意識の虐待」のような事が起こってしまうのでしょうか?私は単純に「考えの足りなさ」「結果を予測する力」が足りていないのでは無いか?と考えています。
今「子どもと向き合って仕事をしてる」という方の何割の方が、今の自分の行動に責任を持てているでしょうか?私はいつもそれを意識できている人はそんなに多くはいないと感じています。
元々の人柄や性格、仕事への向き合い方などによって「責任あるような行動」を取れていても、行動の結果を予測してその行動が与える影響まで考えている方がどれくらいいるでしょうか?もう一度自身の行動と思考をを振り返って見てはいかがでしょうか。
2 まとめ
さて、ここまで「抱っこという名の拘束」という事で「無意識の虐待」と「予測する力」と言う項目に分けて考えて来ましたが、いかがだったでしょうか?
私の最近の裏テーマに「責任感」というのがあって、一人一人が少しずつ意識するだけでも結果は違ってくると思っています。予測する力に関しては、スポーツやゲーム等では大抵の人がおこなっているはずなんです。少し意識を変えれば誰にでも出来る、難しい事ではないと確信しています。
また、私は過去にも「責任感に年齢や立場は関係ない│コラム」や「ちょっとだからいいよね…の心理│コラム」といった責任感に関連する記事を書いています。是非、合わせてお読み下さい。