この記事では「必読!療育の主導権は誰のもの?」と言うことで、テーマに沿った運営者の経験や考えを中心に記事にまとめていきたいと思います。
日常生活や仕事、療育でも役に立つ内容となってますので、是非最後までお読み下さい。
1 必読!療育の主導権は誰のもの?
この章では「必読!療育の主導権は誰のもの?」というテーマを「主導権とは」と「療育の主役」という項目に分けて考えていきたいと思います。
1-1 主導権とは
学校の授業など、明らかな先生と生徒という関係性であった場合は主導権は自ずと先生に来ることが多いかもしれませんが、放デイのような集団療育をおこなっている場合は、授業のような形にはめている時間ばかりではなく、生活感が入り込んでくることもあり関係性が崩れてしまっていることがあります。
子どものワガママな部分やズルい部分を、子どもの大切なお願いごとのように勘違いして叶えてあげたり、子どもに片付けを促し、子どもが泣き出すと泣き止ませることに優先順位が移動してしまい片付けは蔑ろになり、子どもの言いなりになってしまったりと、子どもに主導権を取られてしまってる場面に度々出くわします。
その方々は子どものことを可愛がっていて、子ども達のためになればと思って働いているのは間違いないのですが、少しの意識の違いで子どもを誤学習させてしまっているんです。療育の主導権は支援者が持ち導いてあげるべきです。
では、その考え方の違いとはどういったことなのかを、次項目でもう少し深堀していきたいと思います。
1-2 療育の主役
前項目では療育の主導権は支援者が持つべきだというのは分かったかと思います。では支援者次第で子どもが蔑ろになってしまうのでは?と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、そこで忘れては行けないのは療育の主役は「子ども」だということです。
例えるなら「プレーヤー(子ども)と監督(支援者)」でしょうか?決められたプランが最初からあるのですが、その時の状況や本人の体調などで臨機応変に対応していき、子ども達が最も良いパフォーマンスが出来るように導くのが支援者の仕事でしょう。その中で活き活きと自信を持って活動し、自分の居場所を確保し成長していくのが子どものなすべきことではないでしょうか。
この部分が混同してしまうと、前項目で挙げたような優先順位がブレてしまい、誤学習に繋がるような支援をしてしまうことになるのだと思います。あくまでも子ども主体で療育はおこなわれるのですが、善悪の判断、今やるべき事などを子ども達の言いなりにしてしまうのは間違っています。
誤学習を生んでしまう状況は「自由」や「自主性」では片付けてはいけないと、私は思います。支援者である以上は支援をして欲しいですね。
2 まとめ
さて、ここまで「必読!療育の主導権は誰のもの?」という事で「主導権とは」と「療育の主役」と言う項目に分けて考えて来ましたが、いかがだったでしょうか?
主導権は支援者が持つべきで、善悪の判断を子どもにさせるのは自由でも、自主性でもなく、ただの無責任だということ、子ども達をもっと輝かせるために、私たちが主導権を持って導いてあげなくてはならないことが分かったかと思います。
また、私は過去に「子どもを輝かせる場所│コラム」や「優しさが原因の誤学習│コラム」や「子どもを王様にしてはいけない理由│コラム」や「療育の主役と主導権の関係性│コラム」といった関連記事を書いています。合わせて読むことで更に視野が広がり理解が深まると思いますので、是非リンクからお読みください。