TEACCHプログラムってなに?
発達支援なら誰にでも使えるの?
運営者:田中
TEACCHプログラムはASDの当事者やその家族、 支援者のための生涯プログラムです。現在の療育の現場においては、ABAと並んで欠かせないプログラムとなっています。それでは、詳しく見ていきましょう。
1 TEACCHプログラムとは
TEACCHプログラムは、 アメリカの大学と自治体が主体となりおこなわれている、 自閉症とその家族、関係者(教師や支援者等) を対象とするプログラムです。TEACCHプログラムを学ぶと、自閉症を正しく理解し、 特性に配慮した支援をおこなえるようになります。
2 TEACCHプログラムの特徴
TEACCHプログラムは、 自閉症の人が社会の中で暮らしやすく、 自立した生活を目指すための支援をしています。幼児期から社会参加し人生を全うするまで支援をおこない、 まさに「未来を見据えた療育」と言えるのではないでしょうか。
また、他のプログラム以上に、専門家と同等の保護者様の協力が必要と言われています。
1-1 ゆりかごから墓場まで
TEACCHプログラムを少しでも学ぼうとする意志のある方は必 ず耳にする言葉でしょう。
「未来を見据えて、自分らしく当たり前の生活を送れるように」というと、少し難しく感じてしまいますが、まずは「ASD当事者を理解しようとする」ことです。「その人にあった環境は何か」「どのポイントに引っ掛かりがあるのか」を見ていくと「将来、社会参加するには何が必要か」が見えてきます。そこまで見えてくれば「ただ今が楽しいだけでいい」なんて、言えないはずです。
1-2 構造化
「何を」「いつまで」「どれくらい」 やるのかを明確に分かりやすくしていく工夫が必要となります。下記に例をいくつか出していますが、簡単に言うと「シンプルに分かりやすく」という感じでしょうか。「可愛くしたいから」「楽しいから」も良いですが、行き過ぎて支援者のエゴにならないように気を付けなければなりません。
また、構造化はある意味ルールを作ることになります。なので、必ず最初にお「約束」をしましょう。「ルールだから守りましょう」より「お約束したよね」の方が響きます。そこにABAも合わせて、本人の意思で繰り返すことで定着し般化していくのです。
ABAについての記事はこちらから
それでは具体的に見ていきましょう。
①1日のスケジュール表
スケジュールを細分化し、ラミネート後に裏面にマグネットシートなどを付けます。
その日のスケジュールをホワイトボードなどに貼り、視覚的に分かりやすいようにします。
文字だけでなくイラストもあると効果的ですし、対象により時間表記も工夫が必要です。
私が児発管として勤め始めて間もないころにもやっていました。ただ当時は「なぜこうした方がいいのか」きちんと説明は出来なかったと思います。無意識だったり、なんとなくでも近い支援は出来ます。しかし「自信を持って根拠のある説明をする」のと、ただ「こっちの方が分かりやすくない?」と言われるの、どちらがいいかは言うまでもないですよね。
②部屋の用途
私が見てきた放デイの中にも「保育園のような壁面装飾」や「勉強する場所から見た視線の先におもちゃがある」など、環境が整っていないところもありました。そのような環境を提供しておいて「なんで集中して出来ないの?」「この子はすぐ気が散るから」なんてレッテルを貼ってしまってませんか?
出来れば、部屋別に用途を分けるのが理想的でしょう。ただ、どうしても環境に制限がある場合でも「学習の時は机を壁側に向ける」「学習時はついたてを立てる」だけでも違いますよね。支援者は本当に最大限努力出来ているでしょうか?
③絵カード
感情の度合いを示したり、今何をすべきか(したいか) などの意思表明だけでなく、 道具や遊具の片付ける場所に片付け後の写真を貼って置くと視覚的 に一瞬で伝えられますよね。この部分は「①1日のスケジュール表」と共通する部分がありますね。
3 未来を見据える療育
元々TEACCHプログラムはアメリカのと大学と自治体が主とな り、保護者や支援者も協力する事により、1事業所単位ではなく「全体で取り組めるような構図」になっています。
家や事業所を出たら別世界、また社会全体が「障害者を保護」 するのではなく、ASDは「色々なところで捉え方が異なるだけ」 という感覚で接し、就労やその先まで見据えていっています。もちろん、これからももっと継続して広めていき、 理解してもらわなければならない事はたくさんあります。
ただ、もうすでに扉は開き、1歩2歩と確実に動き出しています。
運営者:田中
ここまで見てきて、私が再三お伝えしている「 療育とは未来を見据えていなきゃいけない」という考え方と、 非常にマッチしていますよね。
このTEACCHプログラムの考え方のように、社会全体が「 障害者は劣っているから助けてやる」というのではなく「 少し考え方が違うだけだから、彼らの生きやすい環境も整えよう」 と思えるといいですね。